まだ出会う前だったか。

いつもどおりの、学校の帰り道。
・・・いつもどおりの、陰険な暴力。





「・・・ッが・・・」
「・・・もう立てねぇの?弱すぎるぜ? 」

そういっていつもどおり、俺を殴りつけて、蹴り上げて。
そしてそこには、傷だらけの俺だけが必ず、取り残されて。

・・・毎日だった。
だからもう慣れた。
友達なんぞいらない、と自分に言い聞かせて。
助けてもらわなくとも俺は、平気だと。

クラスの奴らは・・・会うたび会うたび、変な目をむけてきたさ。
その中に、俺をこんな目に合わせた奴がいることも知らずに。
当たり前のように気づかない。
・・・気づかれたら気づかれたで・・・面倒なだけなのだが。

・・・きっとクラスぐるみだろう。
そう思っていたから、どうせ助けてくれる奴などいないだろうし・・・ましてや、そんなもの求めたくもなかった。



自分をもう知られたくなくて。

・・・黒い縁の眼鏡をかけて、少しでも自分が分からないように
カモフラージュのために・・・素顔を隠した。

マフラーも同じ理由。
口元まで隠せて表情なんて分からない。


・・・だれも俺をかまうな。
独りで生きるのが 一番楽だと知ったから。



・・・嬉しいって何だ?

・・・楽しいって何だ?


・・・・・悲しいって 何だ?




何の感情もない。
怒りや憎しみでさえも 何もかも







「・・・にぃ〜・・・」
「・・・?」

ふと横を見れば、小さな黒い猫。
ぺろ、と俺の力ない指をしきりに舐める。
・・・よくよく見てみると、腕が赤黒い液体で染まっていた。
路地裏で暗かったから見えなかったんだろう。

生身の血で染まった腕。
何の感情もなくなった俺にも、まだ血は通ってたんだなと苦笑。
そのうち背中に悪寒が走りだす。

「・・・このまま・・・死ねるかな・・・」



しだいに雨まで降ってきた。


そのうち体中の血が出続けて、体温を雨に奪われて。
もしかしたらもうそろそろ・・・死ねるかもしれないな。

両親も兄弟もあの世だ。
別に会いたくはないが姿ぐらい見るだろう。


・・・悲しげに鳴く猫の声がする。
撫でてやろうと腕を伸ばそうとも、力なんて入りはしない。

動けない。
血の気がうせてゆく感覚が分かる。



・・・構わん。
どうせ、『必要』とはまったくの無縁なのだから。



・・・雨は、止まない。
ますますひどくなってゆく。



・・・あぁ もう 苦しまずに済む。






「・・・ッ大丈夫ですか!?」


・・・何だ・・・うるさいぞ。
だれも俺を助けないはずだろう?
言葉ももう発することなどできないし・・・意識がなくなるのを、待つだけで。


「・・・にぃ〜・・・」


・・・なぁ どうして
そんなにさびしそうに なく









―――・・・闇が、俺を襲う。

飲み込まれようとした瞬間、何かが俺の頬に・・・触れた。

「・・・?」

目を開ければ上のほうから、色の違った驚いたような双眸と目が合った。
潤んだ瞳から、ぼろっと大きな水の珠が落ちる。
それはナカジの眼鏡にぶつかり、レンズを曇らせた。

・・・頬に、手が添えられていた。
温かい手が、優しく。

「・・・あぁ・・・よかった・・・」


にっこりと微笑んで、ナカジの頭を反対の手でやわらかく撫でる。
まるで猫でも撫でているかのように。

―――・・・そんなに・・・俺が心配だったか?
涙まで流すほど、俺を・・・?

しかしナカジはそんなことはありえない・・・と心の中で否定して、横に軽く首を振った。


・・・そいつは見たところ、外国人のようであった。
髪は黒いが顔の造りが日本人ではなく・・・加えてとても整っていたから。
目の色も片方ずつ違う。黄色と、青。

「・・・具合はいかがですか?」

・・・名も分からぬ青年に助けられ、こんな心配までされ。
死にたかったのに、いらんことをされて少し腹が立った。

俺は助けてほしくなどなかった。

・・・でも。
こいつはなんだか・・・憎めなくて。
余計なことをするな、と殴ってやろうと思って固めておいた拳も、ふっと解いた。

当たり前だろう?
こんな笑顔で、優しく接せられたら。

・・・殴る気もうせた。


「・・・平気だ」


・・・人と関わることが苦手なナカジは、そう言って目線をずらす。
ぐっと壁に背をもたれてベッドに腰掛ければ、その青年がにこりと笑顔で温かいココアを差し出してきた。
とりあえず渡されたので素直に受け取る。

少しだけ飲んで胃を落ち着かせた後、ナカジは腕に白い清潔な包帯が巻かれていることに気づく。
きっと意識がない間に、すべて処置してくれたのだろう。

礼を言おうと口を開きかけたとき、黒い猫がするりとおなかの上にナカジを見上げる形で乗っかってきた。

「にぃ〜・・・?」
「・・・お前・・・」

さっき俺の指を舐めていたあの猫に違いない。
一緒にここまでついてきたのだろうか?

「・・・その子が僕に、あなたの居場所を教えてくれたんですよ。・・・ねぇ、アルビレオ?」
「にぃ〜」

その黒猫に名前を付けているあたり、その青年はこいつの飼い主らしい。
しかし・・・『教えてくれた』とはどういう意味だろうか?
猫と会話できるなんざ、どんな芸当だと疑う。
・・・だが・・・黒猫のあとを追うようにこの青年が助けに来たのも事実だ。



「・・・迷惑、でしたか?」

・・・少し時間が経ってから、そいつはふとそんなことを口にした。


「そのまま、死にたかったですか?」


真剣な目で俺を見るから。
どうしていいか分からずに、目をそむけた。

「・・・そう思ったなら初めから放っておけ・・・」
「・・・すみません・・・でした・・・」


突き放すような言葉を投げつければ、しゅんとしてうつむいてしまった。
見ず知らずの人を助けて、まさかこんなひどい言葉を言われるとは思ってもみなかっただろう。

・・・だがやはり、言い過ぎたやもしれん。

「・・・嘘だ、嘘・・・本気で取るな」
「え?あ、はい・・・すみません・・・」
「むしろ謝るのは俺のほうだ・・・すまなかった」
「い、いえそんな!貴方は何もっ」
「にぃ〜・・・?」

わたわたする青年に、ナカジの胸元にいた黒猫はひょいと移動しぺろりと唇を舐める。
それによって少しずつ落ち着いてき、猫を撫でながらそっとこちらをみる青年がなんとなく微笑ましくなった。
ふ、と苦笑すれば、そいつもつられてにこりと笑顔を作った。

・・・しばらくして、そういえば・・・と青年が口を開く。

「・・・あの」
「・・・何だ・・・」
「よろしかったら・・・で、構わないのですが」

人好きのする、屈託のない笑顔でナカジにこう問うた。


「お名前を、教えていただけませんか」



―――・・・俺と、関わらないほうがいい。


口は、そう言おうとしたのに。

「・・・構わんが・・・」


本心が、先を行った。

その青年はさらに明るい笑顔になる。
はっと気づいたように、ナカジに向き直った。

「あ、申し遅れましたね。・・・僕はミシェル。アルフォンス・ミシェルです。以後お見知りおきを・・・」

深々と頭を下げる、ミシェルという青年。
うれしそうに笑ったまま、ナカジの返答を待っているようであった。

目線をはずしながら、ナカジは答えた。

「・・・俺は・・・中嶋 渓(ケイ)」

本名を言えば、何か思いついたように目を輝かせた。

「・・・じゃぁ、ナカジさんですね」
「・・・・・ナカジ?」

不思議なニックネームを付けられて、少々戸惑う。
しかしその由来が何かに気づき、ふと苦笑する。

「・・・下の名前で呼ばれるよりは・・・いい。それで呼べ・・・ミシェル」
「!」

ふいに自分の名前を呼ばれ、びっくりするミシェル。
しかしうれしさが先に来たのか、顔がほころんだ。

「ありがとうございます・・・ナカジさん」

お返しに勝手に付けられたニックネームを笑顔で呼ばれて、なんだかくすぐったい気分になる。
くると背を向け、ナカジは少し顔を赤く染めながら冷めたココアを飲み干した。


・・・ふっと心が温かくなったのは、気のせいではなかったようだ。
それは何年も昔に味わったことのある・・・『愛情』とかいうものによく似ていたから。

優しさが、そんな風に感じさせるだけなのだと、しても。

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